木田金次郎と昭和30年代

木田金次郎と昭和30年代


イベント詳細


岩内町にとって、そして木田金次郎にとって、昭和30年代は、「岩内大火」からの復興からはじまりました。1954(昭和29)年9月の岩内大火は、町の大半を焼き尽くし、住民の8割が家を失う大惨事でした。木田金次郎もこの時、住まいと約40年間描きためた作品のほぼ全てを失いました。大火後の木田は、猛然と制作を再開するとともに、周囲の理解者がその画業を世に出そうと様々に尽力、二度にわたる全国巡回展の開催につながりました。木田の姿は岩内町民の不屈の精神を象徴するとともに、町民に大きな勇気を与えました。
  大火後=昭和30年代の木田作品は、美術評論家・針生一郎がその個展評で「日本の美術界を象徴するに足る事件である」(『芸術新潮』1959年6月号)と記したように、有島武郎を経由して摂取してきた近代美術の流れを、岩内という地方において独自に消化して自らの表現様式を確立させてきた年代と言うことができるでしょう。
  岩内町から南へ延びる雷電国道が開通した1962(昭和37)年、木田は急逝しますが、その評価は没後も高まり続け、北海道を代表する画家としての位置づけは、現在も変わることがありません。
  今回の展覧会では、木田にとっての昭和30年代を、岩内町の歩みや同時代の北海道美術の流れとともに眺めようとするものです。昭和となって90年を迎える今、半世紀を超えた時代の息吹を感じる機会となれば幸いです

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